流産を語ろう〜1人で抱えないで〜
2019.11.7 ソウハ手術をしました。
流産をしたんです。
私、他の記事にも書いてるように、若いときから自分の身体を把握して、妊娠は望んだ月に一度で出来るような身体です。
ですが、流産は3度目。
今子供3人に恵まれていますが、2分の1で流産してるんです。
3度目といってもこればかりは慣れるものでもなく、心身共にダメージを受け、ブログを書く力もなく、ちょうど仕事内容が変わったのもあり、仕事に没頭しました。
そして半年、仕事にも慣れ、身体も本調子になったので、今まさに流産の診断をされて不安な気持ちの人や、術後泣いてる方のために流産を語ろうと思い、ブログを書きます。
はじめての流産はなにも知識もなく、精神壊れるかと思うほど泣いていました。
2度目の流産は2人目でした。上の子が1歳で育児に追われ、無理をしてしまったのだろうか、自分のせいなんではないか、とやはり自分を責めました。
でも今は自分の6回の妊娠の体験と経過とエコーの見方、知識も増え、流産の中でも稽留流産は、受精時に偶発的におきる染色体異常によるものが多く、初期の流産は、予防・治療し得ない、自然淘汰という自然現象だと、冷静に受け止めることができるようになりました。
今回の妊娠の経過はこんなかんじです⇩
2番目の夫との子は1人、女の子を熱望していた夫の願いもあって、9月〜12月をめどに子作りしはじめました。
おりものの感じや、身体の調子はとてもよく、妊娠できるなと確信していました
9.18排卵 左の卵巣からの排卵を感じましたそれから着床痛もわかり、体温も37度をキープしていたので妊娠4週(生理予定日)
10.4 妊娠検査薬を試し陽性
あまり早く産婦人科に行っても正常妊娠かもわからないので、妊娠6週を過ぎるあたりに10.19 産婦人科受診
診断は正常妊娠です。ですが4週くらいかなぁ?まだ全然わからないね。と先生。
私の計算ではズレもない6週目、先生の顔と言い回しを見て、今回はダメかもとすぐ流産がよぎりました。
受診後、主人には今回は期待しないで。と伝え、それからは妊婦扱いしないでくれていました。
ですが、来るのです、つわりは
10.23 つわり開始 7週すぎ
2週間つわりに苦しみました
本当は育ってるんじゃ?と勘違いさせてくれるつわり。
11.1 再び受診
やはり子宮は大きくなってるけど赤ちゃんは見えないね
からっぽの子宮
5w3dとは5週3日の大きさです
ですが実際は9週1日ではなければいけない時
あぁこれは駄目ですね。と私も冷静だったので、先生はすぐに手術日を決めてと話をすすめました。
11.7 手術当日
先生に術前に『最後にエコーを見せてもらえますか?』すると嫌な顔せずに先生は見てくれました。やはりなにも映らず。
納得して手術に臨めました。
麻酔を打たれ、ボーッとして、でも子宮を掻き出されているかんじはわかり、でも抵抗はできず。
5分もかからず終わり
歩いてベッドへうつり、麻酔が覚めるまで横になっていました。
麻酔が切れるにつれ、なんだか痛くて、夫がが手を握って頭をずっと撫でてくれてたけど、その夫の気持ちが、また悲しく、残念な気持ちになって、涙が止まりませんでした。
たくさん泣いて、つわりもなくなり、食べ物が美味しくかんじるのもまた悲しい、けど美味しい(/_;)急な身体の変化に心と身体がついてけない状態です。
主人は変わらず接してくれました。
子供たちは妊娠を知らせていないので、いつもどおりです。
2歳の子はお腹に手を当てて、赤ちゃんいなくなっちゃったね〜でもまた来るよ
と不思議なことを言ってました。
2歳の息子をギューッと抱きしめて、命の尊さを噛みしめました。
そして以前よりも明るく、強くなって、仕事に邁進しました。
赤ちゃんはよく親を選んでくるというけど、とても仕事が忙しく、3人の子育てに余裕がなかった。だから赤ちゃんはタイミングじゃなかったと遠慮したのかもしれません。
流産になる子は本当に親思いな子だと思うんです。この医療が進んでどんな命でも継続する世界で、自分自身で欠陥があったら消えてしまうのだから。
最後に、あるママが『私流産ぐせがあるから積極的に赤ちゃんを望めない』と言いました。
私は、実は先週流産した話をし、繋留流産にくせなんかないって話をしました。確かに流産の中にも母体が原因のものもあるけど、ほぼ初期のものはそんなことはない。来るタイミングでちゃんと来るよ。だって排卵して受精して着床までするってすごいことで、ちゃんと妊娠できる身体なんだから。
自分の身体に自信を持っていい。
1人抱えないでいい。