ヒプノココ 保健室のピンクレンジャー

ヒプノバース経験者、女性の身体、性の悩み、妊娠出産、結婚、仕事、育児、心と身体が潤う保健室

前村医院での無痛分娩体験〜後編〜


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2011年11月当時のLIVEレポ

PM1:00

促進剤を入れる

バルーンがポンと出てナースコール
結構出血(子宮口6cm)
痛そうなので無痛処置するか聞かれるが、よく陣痛が遠退くとか聞くし、まだイキミたいまでの痛みじゃないからと断る。


PM2:00
陣痛の痛みが増し若干押させる痛みがきたので、無痛処置をお願いする。

 

PM2:16
処置室に移動
まず背中の骨髄のとこに注射→カテーテルを入れてく→麻酔を流す

注射が少し痛く、麻酔を入れる時がズドーンと重いものを腰に落とされた感じ&左足が熱くなって、私の場合即左側だけ不随な状態に
一気に怠くなってめまいもして旦那とも話せずグッタリ
麻酔を入れたことに少し後悔
が陣痛とイキミの感覚はなくなる。


陣痛が落ち着いてきてしまう。そのまま意識なくなる。

 

麻酔が少し引いてくると目覚め、陣痛がついてきて、促進剤を強め
耐えれる痛さ

 

PM3:30
内診子宮口8cm
由美先生『破水しそうイキミたくなったらナースコールして』と言われるがイキミたいがわからない…

 

PM4:40
陣痛の痛さをかんじはじめ急にイキミたいってなってナースコール
(麻酔はこの時点で効いてない)
内診→破水→全開大→一気に赤ちゃんが出てきて慌てて分娩室へ移動→がイキミピークで車いすから動けず…『もう出ます』と叫ぶ→看護師さんに担がれどうにか分娩台へ→見たらもう頭出てた→
が先生会陰切開しないようにしたいからと会陰を伸ばす広げる⇐両手肘まで入ってるー!!!!!私のオマタどんだけ〜(笑)


赤ちゃんは頭半分で止まったままなので痛くて叫ぶ(上の子の時は切ったから頭なんて一瞬ででたのに)

初産より痛いなんてと絶望チーン
(でも赤ちゃん出るとこをジーと見ながら余裕はあったのかも、頭触ろうかなとか手伸ばしたり)→どうにか出て、出た後は本当スッキリ

臍の緒と胎盤を触らせてもらったり、胎盤を食べる話しとか先生と笑いながら話してました。

が7割途中まで普通分娩と同じだし、せっかく来ていたいい陣痛の波を薬で止めてしまったし、なにより私の場合麻酔に身体が合ってなくて、効きがすごく早い割に切れるのも早い⇐これお酒飲んだときと同じ

結果最大級の痛みが段階を追わずに、突然来るというひどい状況に💦

自分の身体を理解してないと、本当に怖いことになると思いました。

 

由美先生自体が麻酔効果あるので、わざわざ無痛にしなくてもよかったかもしれません。

 

会陰は切らずに産む時は大変だったけど、産んだ後がすごく楽です。

回復も一人目の時より早いです。

上の子も抱っこしてあげれた(初産は犬さえ抱っこできなかったのに)

 

赤ちゃんはというと、どす黒く、すごく浮腫んでいて、吸引で頭伸びて、保育器に入れられ、まだ産まれたくなかったんだな。無理やり産んでごめんね。と後悔が残りました。

 

自然が1番いい

と心から思うのでした。



痛さランキングは
1位 分娩
2位 バルーン
3位 浣腸(笑)
4位 陣痛中
5位 無痛処置

前村医院での無痛分娩体験レポ〜前編〜


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2011年11月当時のLIVEレポ

 

記録に残すために、ノート片手に細かく記録

しながらの出産に挑みました。これは無痛分娩だからと鷹をくくって。。


2人目38週日2日

午前9時出産のため入院しました。

今回は最後の出産になるかと思い、1人目丸1日以上の分娩だったのと、2人目は違う方法で出産してみたい&産後体力を残すため、妊娠前から産婦人科をリサーチし、ソフロロジー出産は叶わなかったものの、由美先生という女神のような有名な女医さんのいる、前村医院で無痛分娩というものでの出産に決めました。

由美先生の雰囲気だけで十分無痛かもしれません、診察中はこの人本当に赤ちゃんが好きなんだろうなぁと思える優しさで、丁寧に診察してくれます。

あとは豪華食事とアロママッサージがついて無痛やっても1人目の普通分娩より安い価格なので迷わず選択しました。


ちなみに無痛分娩は計画出産しなければなりません。

2人目の妊娠は

安定期から切迫だったのと、1週間前から子宮口2cm開き10分間隔の張りが来てたのでいつでも産めるだろうということで、旦那の休みやら上の子のことを考えて、この日がいいなぁと思い陣痛来ないように安静にしてました。
そしたら前日、本陣痛になるだろうということで入院を勧められましたが、夜中や朝方は家族が大変なので明日にしますって帰りました。その後も少し歩いただけで安静にしてました。希望どおりの日で


AM9:00入院
車中でおにぎりを食べる
内診後即入院(子宮口3cm)

 

AM10:00浣腸
100秒数えてと言われ鳥肌が立つくらいキツかった

 

AM10:30
子宮口を広げるためバルーンを入れる

(ずっとバルーンに空気を入れて無理矢理膨らますものかと思ってましたが、実際は小さな水風船で子宮口と赤ちゃんの頭の間に入れて赤ちゃんがそれを何だと思って頭で押してくれて開くらしい)が赤ちゃんの頭は斜めを向いてて産まれるには厳しい態勢

どうやら1人目出産後の骨盤矯正をしていなかったせいだとかなり怒られました。


内診グリグリやられて死ぬほど痛い

先生は血だらけでした。

その刺激で急に陣痛が進み陣痛の間隔はすでに2、3分間隔


バルーンが自然に外に出てきたら子宮口6cm開いた合図
(まだ和痛の処置はしていないので普通に陣痛に耐える)

 

AM11:00促進剤1錠を飲む


PM0:00促進剤1錠を飲む


昼食が運ばれてくるが痛くてそんな気になれず、ほぼ旦那が食べて、何口か食べさせてもらう。
陣痛中はしゃべれないが合間では笑って話せる余裕さ…

 

~後編に続く~

2度目の妊娠で危うくお産難民


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2度目の妊娠の話

2011年05月02日

当時の日記から

 

今3ヶ月入りました。

長女とは3歳離したくて、1月から子作りはじめてまた11月産まれで調度3歳差でできました。

長女は総合病院で産んだので最後まで1人で孤独出産で本当にツライ思い出だったから、今回は理想に近い出産にしたくて、1年前から産婦人科探してました。
選択肢としては
長女も立ち会える助産院か自宅出産
ソフロロジー出産でと思ってましたが…自宅から遠かったりで、断念し、しかも私の住む区は産める病院が少なく

その中で1番人気の個人病院、立ち会いはないが無痛分娩、アロママッサージと豪華食事がついて、母子同室ということで、そこに決めました。

 

が…計画的に妊娠して、チェックワンファースト(生理予定から検査可能な妊娠検査薬)で早く妊娠に気付いたので『いつごろ行けばいいですか~』なんて気軽に聞いたら『すぐ来てください』って言われてちょうど4週で行ったら『11月の出産はあなたで締め切ります』って言われて本当にビックリしました
こんなミクロなエコー写真をはじめて見て、思わず先生に『世の中どうなってるんですか』って言ってしまいました。

生理予定前に妊娠に気付かない人は産めないってことです。

慌てて行かなかったら私もお産難民になってたと思うと恐ろしいです。

評判だけあって先生は女の人でいい先生だし、待ち時間3時間くらいだけど、子供のプレイルームもあって子供を遊ばせるついでに行けていいです。

立ち会いはできないけど、今回の出産はなんかすごく楽しみ。

 

この時の私は、いろんな出産方法を経験するため、話題の無痛分娩(色んな事故もある中)まぁ有名な病院だし、過去の事故もないし、大丈夫だろうという気持ちで、見た目の綺麗さと豪華な食事にのせられて、選んだのですが、、、

どんなお産が待ってるかとも知らずに。

無知とはどれほど怖いことか

 

〜2人目出産編に続く〜


色々な出産方法、分娩施設について


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ヒプノココの保健室へようこそ

今日は色々な出産方法、分娩施設についてお話したいと思います。

ノルマ1回目となる出産をクリアした私は出産後すぐ次の出産に向けてのリサーチをはじめました

 

  • 普通分娩

  • 和痛分娩

  • 無痛分娩

出産スタイルとして

  • ラマーズ法式出産

  • ソフロロジー式出産

  • 水中出産

  • フリースタイル出産

  • 立会い出産

(15年前のリサーチでは私の推薦するヒプノバース出産はまだ日本にありませんでした)

未だに検索してもなかなかヒプノバースのことは出てきません。残念でならない

 

今では知られているソフロロジー式出産

ソフロロジー式出産とは

リラックスをした状態での出産を目的にした出産方法です。 妊娠中からソフロロジー式のエクササイズやイメージトレーニングをすることで、前向きな気持ちで出産に臨めるといわれています。

エクササイズとは呼吸法ですね

イメージトレーニングということではヒプノバースと似てるとこがあります。

大きく違うのはイキんで産むかそうでないかといことです。

 

でもこの当時はすごく興味が持てるものでした。本などもありますし、自己でもやれそうなものでした。

 

百聞は一見に如かず

という質でして、やはり自分で試してみないと納得がいかない性格なんです。

情報社会なだけあって、本当のことを見分けるのは非常に難しい、だからこそ、調べ尽くして、最後は自分で試したい。

そしてプロの元で確実な方法で出産したい。だって、出産は人生で何回もあることじゃないから!もぉ後悔はしたくないから。

 

私は次にソフロロジー出産専門の産科を調べました。

その当時、都内に住んでいた私は

そこで愕然としました。

なんとまぁお産できる病院の少ないこと

都内の分娩施設は175件

一番多い区は世田谷区の12件

ましてやソフロロジー出産専門の産科は23区で7件だけ

そして当時私の住む区にはなかった

お隣神奈川県はさらに少ない126件

出産は、近くでないと間に合わない可能性があるし、陣痛はじまって電車で行けるわけがないし。タクシーで行ける範囲、必然的に近くの産科を選ぶしかないことに気づく。

そして、あったとしても人気のため、妊娠発覚すぐ分娩予約をしないと、お産難民になり産めないということ。

 

ここで気づかなかったことは分娩施設情報の中に助産院が載ってなく、助産院という選択肢を持つことができなかったこと。

お産難民になったからと言って諦めず、助産院は比較的後期になっても受け入れてくれます。

ヒプノバース出産

ソフロロジー出産

フリースタイル出産

立会出産

を希望であれば、総合病院などは対応してくれないことが多いので、助産院を選ぶと自分の希望のバースプランがたてられます。

出産スタイルを考えることで、お産に対して前向きに取り組めるだけでなく、そのあとに続いていく、育児に対する姿勢にも違いが出てきます。

出産が楽だと、その後の育児の体力を残せるので、育児も余裕ができます。

 

ちなみに私、ヒプノバースを経験した3人目の出産後、赤ちゃんの計測前に歩いてトイレに行って、座って授乳してます。3週間後から骨盤矯正のために、ジムに通い、3ヶ月後に趣味で教えているチアリーディングの講師として復帰してます。そして本業には半年後に復帰してます。

1人目と2人目は20代だったのに、すべてできなかったことです。

それだけお産の方法って大事だって身を持って知りました。

 

産院の方針などもありますから、すべて自分の思いどおりの出産ができるわけではありませんが、どのくらい希望が通るのか、また自分がお産をする産院はどういう出産スタイルなのかを知っておくことは、とても大切なことです。

 

是非これから出産する方は、結婚式場を選ぶときくらいに真剣に決めてほしいなと思います。

 

 

初めての出産〜出産編〜

旦那がようやく駆けつけた

私の第一声

『早く!!早くなんでもいいから肛門に突っ込んでーーーーー!!!!!』

旦那、突然のことに戸惑う

が切迫な状況を感じ取って、腕を肛門にねじり込ませる

『もっと!!』

『弱い!!!』

旦那息を切らせて数分で力尽きる

赤ちゃんの出てこようとする力は相当な力である

2日にわたる痛みとの闘いを一人で乗り越えた私は、数分で力尽きる旦那を許せず、この人を頼る人生はもぉないと心に思った。

世の中の男性の方、女の最大のイベント

結婚式と出産のときは最大限に誠意を見せないと一生根に持たれるのでご注意を

 

そしてやっと全開大になったころよーーやく先生登場

デッカなハサミを持って(。ŏ﹏ŏ)

早く出したいって思いが先行して

『早く切ってーー』

今までの痛みでハサミで切られることすら怖くない、痛くもない

バッチーン✄

『はいイキんでーーー!』

1回のイキミで

ズルリンポン!

やっとご対面ベビー

 

こんなに大変だったのに、先生来てからは10分で産まれたから安産というらしー

私の中では難産だったんですけど。。。

はい、赤ちゃんですよ〜

『はいはいオッケーオッケー』

もっと感動的なものかと思ったが、大仕事終えて、もぉ脱力、感動を味わう力はなく。

テレビのように泣くこともなく

娘よごめんよ

 

 

この出産で思ったことは

私ほぼ一人で産んだも同じ

看護師の誘導もない、優しいサポートもない

先生はハサミで切って縫って後処理しただけ

あぁ総合病院ってなにかあったときに備えて対処できる安心だけで、健康な妊婦はそんなかんじの扱いなんだなー

隣の部屋からも他の妊婦さんの叫び声と看護師の叱咤激励の声

 

もぉ二度と総合病院では産まない

この出産から私は出産というものに疑問を持ち、出産法や産科施設について調べるはじめるのである

 

次こそは後悔のない出産をしてやる!!

と決意して、、、

 

 

初めての出産〜入院編〜


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ヒプノココの保健室へ

来ていただいて嬉しいです。ありがとうございます。

ちょっと1週間、自分のルーツを探る旅に出てました。

これはまたの機会にお話しましょう。

 

ヒプノバースのことを早くお話したいのですが、その前にそこに至るまでの私の出産記をお話したいと思います。

 

今から11年も前の23歳の秋、都内の総合病院でふっつーーーに出産しました。

とりあえず、なんの知識もなかった私は、教えられたイメージのまま、都内数少ない病院で、選ぶこともせず、家から近いから、初産だから総合病院で、当たり前のように受け入れて、そこで産むことを決めました。

まぁ初めての出産だからね、ふっつーーーに多くの人がやってるように、体当たりでやってみよう。

世の中たくさんの出産方法があるのに、初産は総合病院でみたいな流れ、どーにかならないの?と思いながら、そこクリアして次は自由に選ばせてもらえるよーなノルマ。

とりあえず達成するしかないのかと諦め。

 

出産2日前、内診後おしるし、家で前駆陣痛に悶絶

痛みの最大がわかってないので、少しの痛みに『いたーーい』と騒ぐ

そのため、母にうるさいから早く入院しろって言われる

病院に電話すると『まだまだね』と何度も電話切られる

(え?なんで何も見てないのにそんなことわかるの?)

寝ずに陣痛の間隔を測って、2日目、何度も電話するので、病院もじゃあ来たら?

と。。。

母に連れられ、ダダっ子の幼稚園児を預けるように、『すみません、うるさいので連れてきましたー出産の痛みはこんなもんじゃないって言ってるんですけどねぇ』

看護師さん 『あはは、そーよぉ本物はしゃべれないし、歩けないからー』

(もぉこんなに痛いのに!?これ以上の痛みが襲うわけ!?おしゃべりな私がしゃべれないとかありえないし、怖い怖い怖い)

そしてさっそく、私に言い渡された課題は

就寝までずっとフロア歩いて!

(え!?今15時ですけど!?今から6時間も一人で歩くの!?)⇐すでに母帰ってる

スリッパをペタペタ鳴らしながら、ひたすら歩く。薄暗い病院をひたすらゾンビのように徘徊。。

途中何度も泣き崩れる

痛さと、寂しさと、なんだかわかんない怖さとで

あぁそういえば、旦那は(元)泊まりの仕事で来れないことはわかってるので、連絡もせず。一人で産む決意をしてた。

そう、このころは出産は女一人がするもの、と思ってたから。

出産は孤独でつらいもの、女が乗り越える試練だと思わせられていたから

 

どうして、このころ女性がまわりにこんなにいたのに、誰一人として、そうじゃないよ、安心してと優しく背中をさすってくれる人がいなかったんだろう。

みんな出産経験を過去の栄光のように、こんだけの大変なことをしたのよ〜って話だけ、

だからあなたも頑張って!あんな痛み男なら死んでるんだから!耐えられるのは女だけよ。

そんな声ばかり聞いていた。

そんな声を思い出しながら、奮い立たせながら歩いた6時間、人生でこんなに歩いたことはない。

21時いよいよ就寝 


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個室になってる分娩室LDR室に移動

そのころは、個室から分娩室に移動しなくていいんだ〜素敵〜なんて思ってました。

が!!ベットになると言っても、そこは分娩室癒やしの空間とは程遠い。リラックスするどころかドキドキするだけ。

テレビもないし、置かれたのはCDデッキから流れる、なぜかわからないけど、チョイスされたのはサザンオールスターズのツナミの曲、それをこのあと9時間も聴くことになるとは。。いまやトラウマな曲となったよ。

 

0時、ウ○コが出そうな感覚に襲われ、トイレへ、ウ○コじゃなかったーー、を繰り返す

あれは赤ちゃんがズンズン下に降りてきてる感覚だったんだと今だからわかる。

夜中だから誰に連絡することもできず、キャバクラ勤めの友達に励まされたな

からしたらそりゃ女神だったよ

テニスボールで肛門押すといいとかいう情報を得てやってみたり、押すとかよりもぉ入れてくれ!と思って、気づけば肛門に指を突っ込んでた

その恥ずかしすぎる姿は誰にも見せれないと思いながら一人でよかったと心から思った

もちろん、母の自覚なんて微塵もなくて、赤ちゃんを気遣うことも、むしろ今から出てくるのはエイリアンかもしれないと、話しかけることもしなかった。

勝手に一人で闘ってるつもりになってたのだ。

 

ナースコールで朝方3時

『いつ産まれるんですかーーーー』と聞くと、内診もせずに

『まだまだよ!寝て!』と電気を消され、カーテンをシャッと閉められた、悲しさよ

 

なぜか分娩台に正座しながら

『ごめんなさい、ありがとう、尊敬します』と唱え始める

こんな痛みを乗り越えた全国のママさん、お母さん、意地悪な仕事の先輩、もぉすべての女性は素晴らしいと思って、泣いたり、笑ったり、叫んだり、よくわからない状態に(笑)人生の喜怒哀楽を1日であじわった

 

 

 

朝5時 バンっ!!という音と同時にドバっと破水した

ここでやっと旦那に連絡

 

〜いよいよ出産編に続く〜

10代のころの決意

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私は、祖母が12人兄弟、母が6人兄弟、母方の家系だけでも日本中に親戚は100人近く、従姉妹もみんな結婚が早く、最低3人〜5人、いつもどこかでまた〇〇家に子供産まれました。とSNSで知るくらい、この少子化の時代にはめずらしく、子供が産まれることが日常で、当たり前のように、性のことも、妊娠出産のことも、すぐくる未来として、教えられてきた。

だから私は初潮を迎えたころから母に性教育を受け、母子家庭なこともあって、それはもぉ赤裸々に、嘘なく、教えてもらった。

ただ1つよくなかったのは、母は悲惨な妊娠出産しか経験していなかったこと。

10代、大好きな人が交通事故で亡くなって、結婚できず、止む終えず中絶した話

私を身ごもった時、夫となる人に反対されて、それでも産むと決めて、臨月まで働いて、出産結婚した話

嫁姑問題に悩まされ、二人目をそんな中、出産するも、離婚させられ、幼い息子を奪われた話

妊娠中は孤独で出産は壮絶なものだったそう。

きっと12人産んだひいばあちゃんも、若いうちに決められた結婚をし、戦時中で、止む終えず子供をたくさん産んだんだろう。。
もう聞くことができないことを想像して、ここまで命を繋いでくれた先祖に感謝し、今ここにいることは当たり前でないことで、多くの母父たちによる奇跡と努力と苦労の連続があったから
今自分は生かされいると感じ、その命のバトンを繋いでいくことは、自分の使命と感じた10代


だけども、その影響で結婚、出産にいいイメージなんてなく、10代なのに、なんの憧れも期待もしていなかった。
そのイメージというものがどれだけ大事なのか、これから語る、私の葛藤の人生で知ってほしい。


私をはじめ、現代の女の子たちは、出産は病院でするのが当たり前で、痛くて当たり前、あの試練を乗り越えてこそ立派な母になれる、ほとんどの女性がそう教わり、そう思っている。
なぜ?
祖母の時代も母も時代もそうだったから?
出産は大変よ〜痛いわよ〜そう言われてきたから?

私はずっと小さいときから疑問に思っていた、動物は誰にも教わってなくても、子孫を残し、産み出す方法を知っている。
人間だって、むかーしむかし、まだ裸で暮らしてたときは動物と同じだったはず。
なのにいつの日か、人間は決まったスタイルで介助なしでは産めなくなってしまった。
本来の出産は女性にとっても、赤ちゃんにとっても人生で1番幸せな時であるはずなのに。

みなさんは覚えてますか?


- 保健の授業で教えられた出産のこと
テレビドラマで見る出産映像
母から聞いた自分が生まれた日のこと
先輩ママから聞く出産体験談


それは無意識の内に脳にインプットされ、かなりの洗脳力を発揮して、妊娠したら、命を抱えた責任に押しつぶされそうになり、予定日があたかも死刑執行の日のごとく、不安と恐怖でいっぱいになり、スマホで毎日のように妊娠出産のことを検索する。でもそこには、自分のためだけの答えは何1つ見つからない。
なぜなら、自分が1人の人間を作って産み出す、唯一無二のストーリーだから。自分が自分の身体と心向き合って、赤ちゃんと対話して、心地よいと感じることを選んでいけばいい。いくつもの誰かの不安や壮絶な体験は、自分を奮い立たせるものでも、勇気づけるものではない。



そんな私が
18歳の時に決意したこと
これから先何人子供を産むかわからないけど、人生に何回もない貴重な体験を、どうせするなら、同じスタイルの出産はしない。
出産の本当のことを語れるくらい、鮮明に記憶に残そうと。
出産が最高な体験になれば、女性は最高の人生の頂点を迎えられる。
出産は人生。素晴らしいと思えるまで、追求してみよう!
自分の娘には
妊娠は毎日がHAPPYの連続 出産は心地の良い幸せに満ちた時間
と教えられる母になる

これがヒプノココの10代の決意